今更抄

「今更でしょ」な話を今更

書くことが無かった

 人は必要があるからこだわりというものを獲得する。

 ブログでも書いてみようと百八念発起してブログを作ってみたものの、書くことが無くて困り果てている私が如実に感じていることだ。特に主張したいことがない。いや、個々人と個別の話をしていると何かと細々言っていて姑みたいになるのは御存じの通りだし、そんな時も大体適当に言いたいことを言っている。

 では、不特定多数が読み得る状況となると、そんなところに出す程の大きな言葉を私にはない。こんな言葉には「こだわり」とか「理想」とか、そんな類いの、他の人からしたら迷惑この上ないことも屡々ある、個人的な何かしらが必要な気がする。

 

 そんな不特定多数に対するに際して、どのような言葉を使うかで、その人というものが分かる。社会に反発する人、社会に迎合する人、社会なんて念頭に無く個々人に語り掛ける人、自分を訴える人、エトセトラエトセトラ。

 現状の私は個々人に語る言葉や具体的な状況に向けた言葉は持っているけれど、不特定多数に向けての言葉は残念ながら持ち合わせがない。ここがはっきりしている人がきっと一本気のある人とか一貫性のある人というのだろうが、何を言えばいいのかいまいち分からなかったので「とりあえず、定型文を定型文らしく言っておくか」という態度でいたので、こんテの言葉を研磨するタイミングをみすみす逃がしていたんだろうと思う。借用して誤魔化している認識の下、そんな言葉を使っているからそれまた言葉と自分に距離がある。ウソと思って得々とした顔で言っている言葉に乗っ取られることがあるが、ウソと思って申し訳ねぇなと思って使っている言葉はどうやら自分の言葉全体の中に入ってくるが自分の言葉とならないらしい。

 

 こんな調子なので、不特定多数向けの自分の言葉が無い、むしろ不特定多数に言うべきでない言葉しか持たないので、文章を書いたりということはするべきタイプの人間ではないのである。とは言いつつも、それはそれとして今から適当に作っていくのもありだろうという話で、それならその必要がある場所としてこんな場所を設けるのも一つの手だ。私はこだわりが欲しいのだと、ウソと思って得々と語ってみるが、果たして来週から一体何を書くというのだろうか。さっぱり分からない。

 しかし、人生に必要なものはハッタリである気もするし、書くことが無いということさえ書くネタにすることだってできるのだ。何とかなるだろうと思いつつ、最初に書くネタとしてネタ無いというカードを切ってしまったのはかなりの痛手だった気がする。

 書くことがないのに書こうとするのは、やはり無謀でリスキーなんじゃないだろうか。