今更抄

「今更でしょ」な話を今更

畜生

 夕方、買い物がてら駅前を散歩していると多種多様な人が、思い思いのことをしている。ランニングをする人や仕事終わりに飲みにいかんとする人だけでなく、塾に行こうとする学生などなどコレからが本番の人も本番の舞台を降りた人もそこにいる。

 犬の散歩をしている人の愛犬は白いチワワであった。短い脚を早くで動かしているにも関わらず、飼い主と繋がるリードは一向に張りつめる気配がない。雲を眺めてぼーっと歩いている私は、気配から下を見た。チワワと目が合った。

 あ、吠えられる。

 しかしこれは自意識過剰に終わった。吠えるに値しない雑魚であることがバレたのかと思ったが、すれ違った後に一度もワンという鳴き声は響かなかった。

 

 犬を飼ったことはないが、やはり地域にはいるもので、それなりに思い出もある。友人の愛犬であった芝犬のハリーはボール遊びが好きだった。通学路のお宅にいらっしゃる無闇に吠えるブルドックは、庭で放し飼いにされており、大きな柵に飛びかかって吠えてきて危ないったらなかった。小学校の帰り道に現れた野良犬は、吠えないものの痩せた体と大きな体躯でギラついた目をしていた。

 

 今となってはペットであり家族の一員となった犬猫だが、亡くなった祖母は「どんなに心が繋がってると思っても所詮畜生だから気を抜いちゃダメ」と教えられていたらしい。ある友人の祖母は、若い頃に野犬に追われて、貰ってきたばかりの猪の内臓をエサになんとか逃げたという。どれもけったいな話だなと思ったが、今更どういうことか分かった気がする。

 

 昔の話は何処まで本当か分からない。過ぎたものが本当はどうだったのかなんて、かなりのコストをかけないと分からない。ただ、似通った雲が赤く色づく空で、心配になるほど寄り集まっていることは本当だった。