今更抄

「今更でしょ」な話を今更

夏映え

 夏の足音は冬のものより小気味いい。夏の似合う人間ではないが、実は一番好きな季節なのではないかと最近思い始めている。

 「夏」に対する世間でのイメージは自由・楽しさ・活発さといったものである。レジャーとしては 海や山など自然に親しむこともあれば、健在の如何を問わずに先祖になづむこともあると、都市社会型の日常生活がもつ桎梏から離れる時期と言って過言ではなかろう。

 私はどちらかというと鬱陶しい人であろうから、秋や冬と思われているか、もっと話したことのある人は全部の季節が好き/そもそも季節に好き嫌いがないと思われているのではないだろうか。大体何でも楽しむだけなので、間違ってはいない。ただ、特に好きなら夏かもしれないという話だ。

 

 夏は暑すぎる点を除けば大体見栄えがイイ。植物の葉は照り映え、雲はメリハリが効いている。今年の夏はスコールや台風がひどくない事を願うだけだが、程度がほど良ければ雨だって気持ちが良い。優しい光を湛える月が私たちの目を癒してくれるように、音で肌で匂いで包み込んでくれる雨も好きだ。

 

 泳ぐ泳がないにかかわらず、海は好きである。今年は夏に海に行きたい。なんだかんだで、海の真横に住んでいたことがあり、海から見える空の広さが好きで偶に見たくなる。内海にいたせいで向いに島がある景色に親近感を抱くが、水平線を見るのだって悪くない。

 今年の夏は海でパラソルを立てて読書でもしよう。波を打ちに行こう。

 

 夏のいいところは影が濃くなることにある。雲のメリハリ、葉の照り映えも影の濃さが噛んでいる。「影がある」というと悪いことのように思うかもしれないが、現象的に見れば「そこに居る/在る」という明確な証左こそが影なのだ。そこには見えるような光があり、また「それ」があり、それを支える地面がある。そして、そんな状況に身を置いて、初めて知れる影もあり、影からこそ存在を知れる何かがある。

 明確なる影を見ることもできるのは夏であり、また影の方から光を見ることが出来るのも夏である。日影に座ってジーっと外を見つめる楽しみも、冬の激しさを欠いた日光の元ではできない楽しみもある。そして、外が楽しそうに見えるのも大体は夏である。

 

 夏は体験の季節という人がいる。それは正しい。体験の夏である。海に行き山に行き、街に行き田舎に行き恋人の家に行き、球磨川だか天の川だかを見て、川下りだろうが天下りだろうが、なんでも体験してみればいいと思う。して良いかどうかの判断はご自分で。

 一方で、日陰から目が痛くならない程度に外を見つめて楽しむのも、見えななったものに触れられるのも夏なのである。観察の夏、こちらについてもお暇があればお楽しみいただきたい。

 

 非常に目を使うかもしれないが、夏の夜はきっとそれを癒してくれるくらい好いものでもある。それを信じて楽しもうじゃないか。

 夏はなによりも影映えの季節なのである。